Column コラム

山本 崇雄

  • 進徳女子高等学校校長
  • 教育系コンサルタント

「学校の常識」を疑ってみる——学びは、本当に学校でしか起こらないのか

2020.08.04

「太陽の色は何色ですか?」

そう聞かれたら、皆さんは何色と答えるでしょうか。

日本で育った人なら、「赤」と答える人が多いかもしれません。日の丸の太陽も赤ですし、子どもが描く太陽も赤であることが少なくありません。ところが、欧米では太陽を黄色で表すことが一般的です。

どちらが正しいのでしょうか。

おそらく、どちらも正しいのです。

私たちは、自分が長く暮らしてきた社会の中で身につけたものの見方を、いつの間にか「当たり前」だと思うようになります。しかし、その当たり前は、場所や時代が変われば、簡単に当たり前ではなくなります。

今回は、そんな「常識」について、学校教育とパブリックリレーションズの視点から考えてみたいと思います。

「当たり前」は、どこまで当たり前なのか

みなさま、こんにちは。山本崇雄です。

新型コロナウイルスの感染拡大によって、私たちの生活は大きく変わりました。「Withコロナ」という言葉も生まれ、それまで当然だと思っていた仕事の仕方や人との関わり方が、次々と見直されることになりました。

飲食業や旅行業だけではありません。学校もまた、それまでの「当たり前」を問い直すことになった場所の一つです。

そもそも、常識とは何なのでしょうか。

先ほどの太陽の色だけではありません。

日本では、虹は「7色」と教わります。しかし、虹を何色に分けるかは文化によって異なり、6色と捉える地域もあれば、さらに少ない色で表現する文化もあるといわれています。

感謝の伝え方も同じです。

日本では、何かをしてもらったら「ありがとう」と言うことが礼儀だと教わります。一方、文化によっては、親しい関係だからこそ、あえて感謝の言葉を頻繁に口にしない場合もあります。

誰かを励ますとき、日本では「頑張って」と声をかけることがよくあります。ところが英語では、“Don’t work too hard.” や “Don’t push yourself too much.” のように、「頑張りすぎないでね」と声をかけることもあります。

大切なのは、どちらが正しいかを決めることではありません。

自分にとって自然な言葉や行動が、相手にとっても同じ意味を持つとは限らない。そのことに気づくことです。

常識は、場所だけでなく時代によっても変わる

国や文化が変われば、常識も変わります。

そしてもう一つ、忘れてはいけないことがあります。

時代が変わっても、常識は変わるということです。

少し前まで、「仕事は会社でするもの」という考え方は、多くの人にとって自然なものでした。しかし、オンライン会議やリモートワークが一気に広がり、会社に行かなくても仕事ができることを、多くの人が経験しました。

学校も同じです。

これまでは、

「学校に行って、先生から教えてもらう」

ということが、学びの基本的な形だと考えられてきました。

しかし、休校やオンライン授業を経験したことで、その前提も大きく揺さぶられました。

先生と同じ教室にいなくても学ぶことはできる。
友達と隣の席に座っていなくても、一緒に考えることはできる。
学校という建物の中にいなくても、学びは起こる。

それまで頭では分かっていたことを、私たちは否応なく経験することになりました。

「先生が教える場所」から「生徒が学ぶ場所」へ

私は、これからの学校は「先生が勉強を教える場所」から、「生徒が自分で学ぶ場所」へ、さらに変わっていく必要があると考えています。

もちろん、教師が必要なくなるということではありません。

むしろ、生徒が自分で学ぶ時代だからこそ、教師の役割はこれまで以上に重要になるのではないでしょうか。

何を学ぶのか。
どのように学ぶのか。
困ったときにどうすればよいのか。
誰と学べば、さらに考えが深まるのか。

教師がすべての答えを与えるのではなく、生徒が自分で学び続けられるように支える。

「先生がいなければ学べない」ではなく、「先生がいなくても学び続けられる力を、先生と一緒につけていく」。

そんな学校へ変わっていくことが必要だと思います。

オンライン授業についても同じです。

「オンラインだから、少しくらい手を抜いてもいい」
「学校にいないのだから、本当の授業ではない」

ではなく、

「オンラインだからこそ、自分で学ぶ力が試される」
「学びは学校だけで起こるものではない」

そんなふうに捉えられるようになれば、学びの可能性はずっと広がります。

違う「常識」が出会ったとき、必要になるもの

では、それぞれが違う常識を持っている社会で、私たちはどうすればよいのでしょうか。

私は、そこで必要になるのが「対等な対話」だと思っています。自分の常識を一方的に相手に押しつけるのでもなく、相手の考えにただ合わせるのでもない。

「私はこう考えている。あなたはどう考えていますか」

そうやって互いの背景や考えを知り、ときには自分の考えを修正しながら、よりよい関係をつくっていく。そこに、パブリックリレーションズの考え方が生きてきます。

パブリックリレーションズは、単に情報を発信したり、自分たちのことを理解してもらったりするためだけのものではありません。立場や価値観の異なる人たちが対話を重ね、互いに影響を受けながら、よりよい関係をつくっていく営みでもあります。

多様な「常識」が共存する現代だからこそ、この考え方は大人になってから学ぶものではなく、中学生や高校生のうちから触れる価値があるのではないかと感じています。

学校の「当たり前」を問い続ける

「学校とはこういうものだ」
「授業とはこういうものだ」
「先生とはこうあるべきだ」
「生徒はこうするべきだ」

教育の世界には、長い年月をかけてつくられてきた多くの「常識」があります。もちろん、その中には大切に残していくべきものもあります。

一方で、時代が変わっても、そのままでよいのかを問い直す必要があるものもあります。常識を疑うということは、これまでを否定することではありません。

「本当に今もこれが一番よい方法なのだろうか」と問い直し、違う考えに耳を傾け、必要なら自分たちのあり方を変えていくことです。

太陽が赤にも黄色にも見えるように、私たちが「当たり前」だと思っている学校の姿も、見方を変えれば違って見えるかもしれません。その違いに気づき、対話し、ときには自分たちを変えていく。そんな姿勢こそ、これからの学校に必要なパブリックリレーションズの第一歩なのだと思います。