Column コラム

木野 雄介

  • 私立中高講師
  • 歴検日本史博士

「スマホ、何時まで?」から考えるパブリック・リレーションズ

2026.07.31

夏休みになると、子どもが家で過ごす時間が増えます。

学校があるときには、授業や宿題、部活動など、ある程度決まった生活リズムがあります。

ところが夏休みになると、そのリズムをどうつくるかは、家庭に委ねられる部分が大きくなります。

そこで、改めて考えさせられるのが、スマホやゲームとの付き合い方です。最近急速に議論されている欧州や豪州でのSNSの法規制問題について、日本でも対応が迫られています。

 

「スマホ、何時まで?」
「ゲームはもうやめなさい。」

 

子育てをしていると、こうしたやり取りは珍しくありません。

我が家でも、スマホやゲームとの付き合い方について、夫婦で考え方が少し違います。

では、なぜ人によって「ここまではいい」と思える範囲が違うのでしょうか。

考えてみると、これはスマホやゲームに限った話ではなさそうです。

 

親切?介入?過干渉?「許容範囲」が狭くなる4つの背景

人が他者の行動に対して、「それはやめた方がいい」とすぐに介入したくなる背景には、どのようなものがあるのでしょうか。

私なりに4つに分類してみました。

 

① 不確実さの受け止め方

「このままスマホばかり見続けたらどうなるのだろう」
「今のうちに止めた方がいいのではないか」

先のことが見えない状態を、そのまま待つのは意外と難しいものです。

不確実な状態に不安を感じやすい人ほど、「今のうちに止めておこう」と考えやすくなります。

一方で、ある程度の不確実さを受け入れ、「もう少し様子を見てみよう」と考えられる人もいます。

 

その違いの一つは、先の見えない状態をどこまで受け入れられるかにあるのかもしれません。

 

② 目標と手段の捉え方

「宿題が終わっていて、睡眠にも影響がないなら、多少スマホを使っていてもいいのではないか」と考える人がいる一方で、

「そもそも子どもがそんなに長時間スマホを使用すること自体が望ましくない」と考える人もいます。

 

ここでは、「何を達成したいのか」という最上位目標と、

「どう行動するべきか」という手段が、いつの間にか入れ替わってしまうことがあります。

本来は「より良い生活を送るためにスマホとどう付き合うか」が目標だったはずなのに、

いつの間にか「スマホは○時まで」という手段そのものが目標になってしまう、といった具合です。

 

「生活を整えるために、スマホをどう使うか」と考える人と、

「スマホは○時までにやめるべきだ」と考える人。

 

どちらも子どものことを考えている点では同じです。

ただ、前者は目標に合わせて手段を変えられるのに対し、

後者は一度決めた手段を守ること自体が目的になりやすいのです。

 

この違いも、「ここまでは許容できる」という範囲に影響しているのではないでしょうか。

 

③ 責任の引き受け方

「今ここで放っておいたら、将来困るのではないか」

子どもの現在の行動を、将来の結果まで含めて「親(自分)の責任」と捉えてしまうと、どうしても介入して是正したくなります。

もちろん、親には子どもの安全や生活を守る責任があります。

ただ、子どもの将来に起こることまですべて親がコントロールできるわけではありません。

「困らないように今のうちに止めておこう」と考える人と、

「多少の失敗や試行錯誤も、本人が学ぶためには必要だ」と考える人。

この違いもまた、「どこまで口を出すか」に影響します。

 

責任感が強いからこそ、先回りして介入する。

しかし、子ども自身が考え、試し、失敗し、修正することまで奪ってしまえば、

かえって自分で判断する機会を失わせることにもなるかもしれません。

 

④ 「任せる」と「放置する」の捉え方

「本人に任せる=何もしない」と捉えていると、どうしてもイライラして口を出したくなります。

一方で、「本人に任せる=本人が試行錯誤する機会を保障する」と捉えれば、少し見え方が変わります。

 

「任せると、子どもが何もしていないように感じる」という人と、

「任せることそのものが、子どもにとって大切な経験になる」と考える人。

この違いも、「許容範囲」の広さに関係しているのではないでしょうか。

 

 

この4つは、どれも決して悪いことではありません。

むしろ、相手を心配したり、責任を持とうとしたり、より良い状態にしたいと思ったりするからこそ生まれるものです。

だからこそ、単純に「口を出さないようにすればいい」とは言えないのだと思います。

 

パブリック・リレーションズ的に考えてみる

ここで、パブリック・リレーションズの考え方を当てはめてみます。

パブリック・リレーションズとは、個人や組織が目標や目的を達成するために、

倫理観に支えられた双方向性コミュニケーション自己修正をベースとして、関係を構築する活動です。

 

これを親子関係に置き換えてみます。

もし親の目標が「子どもを親の言う通りに動かすこと」であれば、

ルールを決めて守らせることが、最も効率的な手段かもしれません。

 

しかし、もし最上位目標が

「子どもが自分で考え、自分で選択し、自分でより良い方向へ自己修正できるようになること」

だとしたら、話は変わります。

 

親が一方的に「スマホは○時まで」と決めることが、必ずしも最適な手段とは限りません。

「スマホやゲームをもっとやりたい」という子どもの意見と、

「睡眠や生活も大切にしてほしい」という親の意見。

まずは、それぞれの考えを対等に出してみる。

「結局、何を大切にしたいのだろう?」と、最上位目標を一緒に考える。

その上で、まずやってみる。

うまくいかなければ、また考える。

つまり、

対等に対話する
                 ↓
              目標を共有する
                 ↓
              方法を試してみる
                 ↓
うまくいかなければ自己修正する

 

この循環そのものが、パブリックリレーションズです。

 

「正しいルール」より「自己修正できる関係」

ここで大切なのは、「スマホは何時までが正解なのか」を決めることではありません。

家庭によって状況は違います。

子どもの年齢も、生活リズムも、スマホやゲームとの付き合い方も違います。

だからこそ、最初から「正解のルール」を決めるよりも、

「うまくいかなかったら、一緒に修正できる関係」をつくることの方が重要だと私は考えています。

 

これは家庭だけの話ではありません。

学校における教師と生徒の関係でも同じです。

「こうしなさい」と大人が正解を決めるのか。

それとも、目標を共有し、対話しながら、より良い方法を一緒に探していくのか。

 

さらに言えば、職場でも同じです。

部下が失敗しないように細かく指示することは、一見すると責任感のあるマネジメントに見えます。

しかし、それによって相手が自分で考え、試し、修正する機会を失ってしまったら、長期的には自律する組織から遠ざかってしまいます。

 

「待つ」のではなく、「ともに修正する」

私は以前、「任せる」ということは、相手に口を出さずに待つことだと思っていました。

しかし、少し違うのかもしれません。

パブリックリレーションズにおける自己修正は、「相手を放っておく」ことではありません。

相手と対等に対話しながら、「今のやり方で、本当に目標に近づいているだろうか」とお互いに問い直すことです。

だから、必要なのは「親が我慢して口を出さないこと」でも、「子どもの好きにさせること」でもありません。

 

相手を変えようとする前に、目標と手段の関係を見直し、関係を自己修正しながら、その中でより良い方法を一緒に探していくことです。

 

「スマホは何時まで?」という家庭内の小さな問いから考えてみましたが、

これは子どもだけの問題ではありません。

 

「自分にとっての当たり前」を、相手にも求めていないか。

「こうするべきだ」と思ったとき、それは本当に最上位目標を達成するための手段なのか。

 

そして、相手のためを思って口を出しているつもりでも、

それはいつの間にか「親切」から「介入」へ、さらに「干渉」へと変わっていないか

 

もちろん、すべてを子どもに任せればいいわけではありません。

大切なのは、口を出すことそのものを減らすことではなく、

「なぜ、今、口を出すのか」を自分自身に問い直すことなのだと思います。

 

夏休みの「スマホは何時まで?」という小さな問いは、

子どもの過ごし方を考えるだけでなく、私たち大人の「関わり方」を考えるきっかけにもなるのかもしれません。

 

それは、親子でも、教師と生徒でも、組織とステークホルダーでも、きっと同じなのだと思います。