Column コラム

山本 崇雄

  • 進徳女子高等学校校長
  • 教育系コンサルタント

「みんなで育む」は、学校の関係性を問い直す葉 ――「次期学習指導要領等に向けた審議まとめ」をパブリック・リレーションズの視点から読み解く

2026.10.15

「次の学習指導要領」で、本当に変わろうとしているものは何か

2026年10月5日、中央教育審議会教育課程部会から「次期学習指導要領等に向けた審議まとめ」が公表されました。400ページを超える本編に加え、各教科等の詳細な資料まで含む、非常に大きな文書です。内容を読み進めていくと、教科内容や評価、授業時数、デジタル学習基盤など、さまざまな論点が示されています。しかし僕がまず注目したのは、個々の制度変更よりも、その根底に流れている「学校教育をどう捉えるか」という考え方でした。

審議まとめでは、これからの教育について、「生涯にわたって主体的に学び続け、多様な他者と協働しながら、自らの人生を舵取りすることができる、民主的で持続可能な社会の創り手」を「みんな」で育むという方向性が示されています。そのために、「主体的・対話的で深い学び」の実装、「多様性の包摂」、「実現可能性の確保」を三位一体で進めていくことが示されています。

僕は、この「みんなで育む」という表現に、とても大きな意味があると感じています。学校教育を、教師が子どもたちに一方的に何かを「与える」営みとしてではなく、子どもたち、教師、保護者、地域、行政、そして社会が関係しながらつくっていく営みとして捉え直しているからです。そして、この考え方は、僕が教育への応用を考えてきたパブリック・リレーションズと、とても親和性が高いように思います。

「伝える力」では足りない――問われているのは「関係をつくる力」

僕は、パブリック・リレーションズを「情報を上手に届けるための方法」だとは捉えていません。大切なのは、目標や目的の実現に向けて、誰と関わる必要があるのかを見定め、その相手との関係をつくり、育て、必要に応じて見直していくことです。その土台になるのが、「倫理観」「双方向性コミュニケーション」「自己修正」の三つです。言い換えれば、相手に働きかけるだけではなく、相手の声や反応を受け取りながら、自分自身も変わっていくことまで含めて、僕はパブリック・リレーションズだと考えています。

また、「パブリック」という言葉も、単純に「公共」を意味するものではありません。ここでいうパブリックとは、広く社会や一般社会を指します。その中から、ある目標を実現するために関係を結ぶべき相手が、その時々のステークホルダーになります。ですから、目標が変われば、向き合う相手も変わります。PRとは、あらかじめ決まった相手に同じメッセージを届け続けることではなく、「今、誰との関係が必要なのか」を考え続ける営みだと言えます。

これは、まさにこれが「双方向性コミュニケーション」です。

大切なのは、自分の意見を上手に説明し、相手を説得することだけではありません。相手の考えを受け取り、自分の考えも伝え、違いがあることを前提として関係を築いていくことです。学校で「対話」が重視されている意味も、「話し合い活動を増やす」といった方法論だけではなく、「異なる他者とどう関係をつくるか」というところまで広げて考える必要があるのではないでしょうか。

子供だけが「自己調整」するのか――学校にも必要な「自己修正」

今回の審議まとめをPRの視点で読んだとき、僕が特に重要だと思ったのが「自己修正」です。

審議まとめでは、子どもたち自身が学習を自己調整すること、興味・関心や能力、特性に応じて教材や方法を選択できる学習環境を整えることなどが重視されています。 また、生成AIをはじめとしたデジタル技術が急速に発展する中で、単に正解を得ることではなく、自ら問いを持ち、考え、探究していく学びの重要性も一層高まっています。

PRにおける自己修正とは、一度決めたことを何が何でも押し通すのではなく、相手から返ってきた反応や環境の変化を受け取り、必要に応じて自分たちの方法や考え方を変えていくことです。

これは、子どもたちの学習だけに求められるものではないはずです。

子どもたちの反応を受けて、教師が授業を自己修正する。教師の声を受けて、学校が教育課程や学校運営を自己修正する。学校の実態を受けて、教育委員会や行政も支援のあり方を自己修正する。

「子どもたちをどう変えるか」と考えるだけではなく、「子どもたちの声を受け取った僕たちは、どう変わるのか」と問い続ける。この発想こそ、双方向性コミュニケーションを本当の意味で成立させるために欠かせないものだと思います。

「みんな同じ」が公平ではない――多様性の包摂とPRの倫理観

もう一つ、PRの重要な要素である「倫理観」という視点から見ると、今回大きく打ち出されている「多様性の包摂」がとても重要に見えてきます。

審議まとめでは、不登校の児童生徒、特別支援教育の対象となる児童生徒、外国人児童生徒、特定分野に特異な才能のある児童生徒など、学校に通う子供たちの多様性がこれまで以上に顕在化していることが指摘されています。そして、一つの教育課程や一つの学び方にすべての子供を合わせるのではなく、多様な子供を包摂できる柔軟な教育課程をつくることが示されています。

僕はこれまで、PRにおける「倫理観」を、教育の場では「みんながハッピーになること」や「誰も取り残さないこと」といった言葉で考えてきました。

全員に同じことをさせることが、公平とは限りません。同じ目標を目指していても、そこに至る道筋は一人ひとり違っていてよい。その違いを認めながら、目標や意味を共有していくことが大切です。

PRでも同じです。声の大きな人や多数派だけを見て関係をつくるのではなく、「この関係からこぼれ落ちている人はいないか」「声を出しにくい人はいないか」と考え続ける。その倫理観があって初めて、双方向性コミュニケーションも自己修正も機能します。

「社会に開く」とは、学校がたくさん発信することではない

最後に、今回の審議まとめで僕が最もPR的だと感じたのが、「社会に開かれた教育課程」の実質化です。

資料では、コミュニティ・スクールを含む地域や家庭との連携・協働を進めることに加えて、学習指導要領の趣旨や内容を「保護者をはじめ社会全体と共有する」ことまで示されています。

ただし、ここで少し注意したいことがあります。

「社会に開く」というと、学校ホームページを充実させる、SNSで発信する、学校説明会を増やす、といったことを思い浮かべるかもしれません。もちろん、それらも大切です。しかし、それだけでは一方向の「広報」にとどまってしまいます。

PRの視点に立つと、「何を伝えるか」と同じくらい、「誰と関係をつくるのか」「相手から何を受け取るのか」「受け取ったものによって学校自身がどう変わるのか」が重要になります。

僕は、今回の次期学習指導要領をめぐる議論は、単なる授業方法や教科内容の改訂ではなく、学校と社会との「関係のつくり方」を問い直すものでもあるように感じています。

子供との関係、教師同士の関係、家庭との関係、地域との関係、行政との関係。

それぞれを、「倫理観」「双方向性コミュニケーション」「自己修正」という三つの視点から見直してみる。

そう考えると、「みんなで育む」という言葉は、単なるキャッチフレーズではありません。むしろ、これからの学校教育そのものをパブリック・リレーションズとして捉え直すための、大切な入り口になるのではないでしょうか。