Column コラム

山本 崇雄

  • 進徳女子高等学校校長
  • 教育系コンサルタント

学校経営は、野球型からサッカー型へ。自律する組織をつくるパブリック・リレーションズ

2026.06.27

通っているスポーツジムのサウナのテレビから流れていたのは野球の早慶戦。

9回裏、早稲田が逆転サヨナラ勝ちを収めた試合です。早稲田スポーツの記事によれば、早大は1点差で迎えた9回裏に髙橋海翔選手の犠飛で同点に追いつき、最後は德丸快晴選手の一打でサヨナラ勝ちを収めました。32年ぶりの「天覧試合」という特別な舞台でもありました。普段、野球はあまり見ないのですが、たまたまサウナで素晴らしい試合を見ることができました。

僕がその試合を見ながら改めて強く感じたのは、野球というスポーツの戦術の綿密さです。サウナというゆっくりと時間が流れる空間で、一つひとつの間と指揮系統から行動を修正していく流れは野球の組織性の強さを感じます。

打順、代打、代走、送りバント、守備位置、投手交代。ひとつひとつの場面に意味があり、ベンチからのサインがあり、それを選手が理解し、確実に実行していく。もちろん選手自身の判断もありますが、野球には「戦術を伝達し、役割を明確にし、確実に実行する」組織としての美しさがあります。

そしてその日の夜には、サッカー日本代表がアイスランド代表とワールドカップに向けた強化試合を行っていました。JFAのマッチレポートによれば、日本は5月31日、国立競技場でアイスランド代表と対戦し、小川航基選手のゴールで1対0の勝利を収め、FIFAワールドカップ2026前の国内最後の試合を白星で飾りました。

昼に野球を見て、夜にサッカーを見る。

僕は学生時代、サッカーに熱中していました。だからこそ、この二つのスポーツの試合運びの違いを、改めて強く感じました。

野球は「戦術の実行」、サッカーは「戦術の中の意思決定」

野球は、場面が比較的区切られています。

一球ごとに状況が整理され、監督やベンチの意図がサインとして選手に伝わります。選手はその意図を受け取り、自分の役割を明確にしたうえでプレーします。早慶戦の9回裏の逆転劇にも、単なる勢いだけではなく、そこに至るまでの試合運び、選手起用、状況判断、役割遂行の積み重ねがありました。

一方で、サッカーは流動的です。

もちろんサッカーにも戦術があります。システムもあります。監督のゲームプランもあります。日本代表のアイスランド戦でも、JFAのレポートには3-4-2-1のシステム、後半開始からの複数選手の交代、さらに終盤には2トップに変更して攻め手を増やしたことなどが記されています。(JFA|公益財団法人日本サッカー協会)

しかし、サッカーでは、いざ試合が始まれば、選手は一つひとつのプレーで自分で判断し続けなければなりません。

パスを出すのか。運ぶのか。待つのか。動き直すのか。前に行くのか。戻るのか。味方の位置、相手の動き、スペース、時間、得点状況。そうした複雑な情報を一瞬で受け取り、自分で意思決定していきます。

ここで大切なのは、サッカーが「自由にやっている」わけではないということです。

選手の意思決定の裏側には、共有された戦術があります。チームとしての約束事があります。目指すゴールがあります。つまり、サッカーは「指示がないスポーツ」なのではなく、「共有された戦術の中で、選手が自律的に判断するスポーツ」なのです。

この違いは、これからの学校経営を考えるうえで、とても大きな示唆を与えてくれます。

これまでの学校は、野球型で成り立ってきた

これまでの学校経営は、どちらかと言えば野球型だったのではないかと思います。

校長や管理職が方針を決める。主任が伝える。先生方が実行する。学年や分掌ごとに役割が決まり、年間計画に沿って学校が動いていく。

このあり方には、大きな強みがあります。

学校には、安全管理、危機対応、入試、行事運営、法令遵守など、確実性や統一感が必要な場面がたくさんあります。そうした場面では、野球型の学校経営が力を発揮します。誰が何をするのかが明確で、指示が通り、確実に実行される組織は、安定して動くことができます。

しかしながら、すべてが野球型になってしまうと、学校は少しずつ「指示を待つ組織」になってしまいます。

先生が指示を待つ。生徒も指示を待つ。保護者も学校からの連絡を待つ。地域も学校からの依頼を待つ。

そのような学校で、生徒に「主体的に学びなさい」「自分で考えなさい」と言っても、どこかに矛盾が生まれてしまいます。

学校改善には各校内部の地道な取り組みと、教職員の主体性・自律性が必要であり、子どもたちの自律性や主体性を育てるためには、まず学校組織そのものが自律的で主体的である必要があります。

サッカー型学校経営に必要なのは、共有されたゴール

僕が考えるサッカー型学校経営とは、「校長が何も指示しない学校」ではありません。

また、「先生方が自由に好きなことをする学校」でもありません。

サッカー型学校経営に必要なのは、まず共有されたゴールです。

どんな生徒を育てたいのか。どんな学校でありたいのか。何を大切にするのか。どこに向かって進むのか。このゴールが共有されていなければ、サッカー型はただの混乱になってしまいます。

ただし、ゴールが共有されたあとは、一人ひとりが自分の場所で判断していく必要があります。

担任には担任にしか見えない生徒の姿があります。教科担当には、授業の中で見えてくる成長があります。養護教諭には、心身の変化から見えるサインがあります。事務職員には、学校全体の運営を支える視点があります。保護者には家庭での子どもの姿があります。地域には、学校の外から見える期待や不安があります。

それぞれの立場で見えているものを持ち寄り、対話し、判断し、必要に応じて動きを変えていく。

これが、僕の考えるサッカー型学校経営です。

これからの学校に必要なのは、校長の指示を正確に実行するだけの組織ではなく、学校の理念や目標を共有したうえで、先生方一人ひとりが自律的に判断できる組織なのだと思います。

パブリック・リレーションズは、学校をサッカー型に変えていく

ここで、僕が大切にしているパブリック・リレーションズの考え方が生きてきます。

パブリック・リレーションズは、個人や組織体が最短距離で目標や目的を達成するための、「倫理観」に支えられた「双方向性コミュニケーション」と「自己修正」をベースとしたリレーションズ、つまり関係構築活動です。ここで言う「パブリック」は、「公共」という意味ではありません。「社会」あるいは「一般社会」を指します。

学校にとってのパブリックとは、生徒、保護者、教職員、地域、卒業生、進学先、企業、行政など、学校の目標達成に関わるステークホルダーです。学校が何かを実現しようとするとき、誰と関係を築く必要があるのか。その人たちと、どのように対話するのか。いただいた声を、どう受け止め、学校のあり方をどう自己修正していくのか。

これが、学校経営におけるパブリック・リレーションズです。

野球型学校経営では、情報は上から下へ流れやすくなります。一方、サッカー型学校経営では、情報はピッチの中を行き来します。声をかける。受け取る。判断する。修正する。もう一度、共有する。

この循環がある学校は強くなります。なぜなら、学校改革は、校長一人の考えだけでは進まないからです。先生方の納得が必要です。生徒の実感が必要です。保護者の理解が必要です。地域との信頼関係が必要です。

だからこそ、学校改革は広報活動がベースではなく、関係構築活動がより重要になるのです。

「教えない授業」と自律型の学校改革

僕が実践してきた「教えない授業」は、先生が何もしない授業ではありません。

生徒が自分で問いを持ち、自分で考え、自分で動き、仲間と関わりながら学びを深めていく授業です。先生は、すべてを先回りして教えるのではなく、生徒が自律していくための環境を整えます。

これは、学校改革にもそのまま当てはまります。

校長がすべてを教え、すべてを決め、すべてを動かすのではなく、先生方が自分たちで問いを持ち、対話し、試し、振り返り、自己修正していく。そのプロセスを学校全体でつくることが、自律型の学校改革です。

この春から校長に就任した進徳女子高等学校で僕が進めたいのは、このような学校改革です。

もちろん、すぐに理想通りにはいきません。対話には時間がかかります。意見が違うこともあります。うまくいかないこともあります。だからこそパブリック・リレーションズが必要なのです。

倫理観があるから、対話は単なる自己主張ではなくなります。双方向性コミュニケーションがあるから、相手を動かす前に、相手を理解しようとします。自己修正があるから、一度決めたことに固執せず、よりよい方向へ進み直すことができます。

これからの学校は、ピッチに立つ人を増やす

野球型学校経営には、野球型の良さがあります。戦術を明確にすること。役割を整理すること。確実に実行すること。これは、学校にとっても欠かせません。

ただ、変化の激しい時代に、すべての場面でベンチからのサインを待っていては、学校は子どもたちの変化に追いつけません。目の前の生徒の小さな変化に気づくのは、現場の先生です。保護者の不安を最初に受け取るのも、現場の先生です。地域との関係を日々つくっているのも、学校に関わる一人ひとりです。

だからこそ、これからの学校経営は、ピッチに立つ人を増やしていくことが大切だと思います。

校長だけがリーダーなのではありません。主任だけがリーダーなのでもありません。若手の先生も、ベテランの先生も、生徒も、保護者も、地域の方も、それぞれの場所でリーダーシップを発揮できます。僕は、サッカー型学校経営とは、「みんなで自由にやりましょう」という放任ではなく、「同じゴールに向かって、それぞれが自律的に判断できる関係をつくること」だと考えています。

学校は、子どもたちに自律を育む場所です。だからこそ、学校そのものが自律していなければならない。

早慶戦の9回裏に見た野球の綿密な戦術と実行力。

日本代表戦に見た、戦術の中で選手が判断を重ねていくサッカーの流動性。

その両方から、これからの学校経営に必要なものが見えてきた気がします。

僕は、野球型の確実さを大切にしながらも、サッカー型の自律性を学校の中に育てていきたいと思っています。そして、その土台には、いつもさまざまなステークホルダーとの良好な関係構築を行うパブリック・リレーションズの考え方を置いていたいのです。