Column コラム

山本 崇雄

  • 進徳女子高等学校校長
  • 教育系コンサルタント

誰かと比べなくてもいい——何度でも、ここから始められる

2020.09.11

新しい学期が始まると、「今学期こそ、こんな授業をしてみたい」「生徒たちと、こんなことに挑戦してみたい」と、いろいろなことを思い描きます。ところが、現実はなかなか思い通りにはいきません。特に新型コロナウイルスの感染拡大以降は、これまで当たり前にできていた教育活動にもさまざまな制限が加わり、「本当はもっとできたはずなのに」と感じることが増えた方も多いのではないでしょうか。

そんなとき、不思議と目に入ってくるのが、楽しそうに新しい実践をしている人や、次々と成果を上げているように見える人たちです。「あの人はあんなにできているのに、自分は何もできていない」と焦ったり、「自分には無理なのかもしれない」と落ち込んだりする。人は、知らず知らずのうちに誰かと自分を比べ、必要のなかった苦しさまで自分の中につくり出してしまうことがあります。

思い描いていた新学期と違っても

2学期が始まり、Withコロナの「新しい学校生活」にも、少しずつ慣れてきた頃かもしれません。

感染予防のために、行事や授業の進め方を見直さなければならなかったり、生徒同士の活動に制限が加わったりと、それぞれの学校で試行錯誤が続いていることと思います。やりたい教育活動があっても実現できず、もどかしさを感じることもあるでしょう。

しかも、今は他の人の実践が以前よりずっと目に入りやすい時代です。SNSを開けば、魅力的な授業や新しい取り組みが次々と流れてきます。それ自体は学びのきっかけになりますが、気持ちに余裕がないときほど、「自分も何かしなければ」という焦りに変わることがあります。

けれど、考えてみれば、学校も違えば、生徒も違います。置かれている状況も、使える時間も、これまで積み重ねてきた経験も違います。それでも私たちは、つい同じ物差しの上に自分と誰かを並べてしまいます。

そんな「比較」について考えるとき、私は今でも思い出す光景があります。

セブ島で出会った、忘れられない風景

3年前、私は教え子たちと一緒にフィリピンのセブ島を訪れました。現地では、経済的に厳しい環境に置かれている子どもたちの支援活動に関わりながら、フィリピンが抱える社会課題について学びました。

中でも強く印象に残っているのが、大きなゴミの集積地を訪れたときのことです。大量のゴミが積み重なり、場所によっては煙が立ちのぼっていることから、「スモーキーマウンテン」と呼ばれることもあります。

その周辺には、人々の暮らしがありました。

最初にその光景を見たとき、私は「なぜ、こんなゴミの山のすぐそばに住んでいるのだろう」と思いました。けれど話を聞いてみると、私が勝手に想像していたのとは逆で、もともと人々が暮らしていた場所の近くに、あとからゴミが集まるようになったのだと知りました。

そのとき、近所の人たちは音楽を流しながら楽しそうに話をしていました。その周りでは子どもたちが走り回り、友達同士で遊んでいます。

私はその光景を、今でもよく覚えています。

なぜなら、そこに行くまでの私は、「こういう環境で暮らしている人は、きっと不幸なのだろう」と、どこかで決めつけていたからです。しかし、目の前にいる人たちの表情は、私の想像とはまったく違っていました。もちろん、そこで暮らす人々が抱える社会的な課題や困難を、外から訪れた私が簡単に語ることはできません。それでも、その瞬間に見た笑顔や、子どもたちが夢中になって遊ぶ姿は、私に一つの問いを残しました。

「幸せって、何だろう」

幸せは、誰と比べて決めるものなのか

この問いに、簡単な答えがあるとは思いません。安心して暮らせる環境や教育、医療、経済的な安定など、社会として支えていかなければならないものはたくさんあります。

その一方で、あの場所を訪れたとき、私は「自分が幸せかどうかを最後に感じるのは、自分自身なのかもしれない」と思いました。

誰かが持っているものばかりに目を向けていると、自分にないものが次々と見えてきます。「あの人のほうができている」「あの学校のほうが進んでいる」「自分にはまだ足りない」。そうやって比べ続けているうちに、本当はすでに持っているものや、できていることが見えにくくなってしまいます。

もちろん、こう書いている私自身も、誰かと自分を比べて落ち込むことがあります。相手と自分は違うと頭では分かっていても、比較を始めると、自分のできていない部分ばかりが気になってきます。

けれど、よく考えてみると、その日一日にも、できたことはきっとあります。生徒の話をいつもより少し丁寧に聞けたかもしれないし、一人の小さな変化に気づけたかもしれません。思い描いていた授業には届かなかったとしても、その日の教室で、生徒と一緒に過ごした時間そのものには意味があったはずです。

他者と比べることが、すべて悪いわけではありません。誰かの実践から刺激を受けたり、自分を振り返ったりすることは大切です。ただ、その比較によって、自分自身の価値まで決める必要はないと思うのです。

いつでも、そこから始めればいい

もし、新学期を思い描いていたように始められなかったとしても、それで今学期すべてが決まるわけではありません。

9月に始められなかったことを、10月から始めてもいい。昨日うまくいかなかったことを、今日もう一度やってみてもいい。一度試してだめだったなら、方法を少し変えてみればいい。

私たちは、ときどき「スタート」に特別な意味を持たせすぎるのかもしれません。新年度、新学期、月曜日、新しい年。何かを始めるのにふさわしい日があるように感じますが、本当はいつでも、今日を新しいスタート地点にすることができます。

教育も同じです。一度決めた方法がうまくいかなければ変えていいし、自分だけでは難しければ誰かの力を借りてもいい。できないことがある人を責めるのではなく、できないときには支え合い、うまくいかなかった人に「もう遅い」と言うのではなく、「ここからまた始めればいい」と言える。

そんな空気が学校の中にあれば、生徒たちもきっと、失敗することや立ち止まることを必要以上に怖がらずにすむのではないでしょうか。

誰かと比べて、自分に足りないものばかりを探すのではなく、今の自分が立っている場所から、できることを少しずつ始めていく。

そして、誰もが何度でもやり直し、何度でも新しいスタートを切ることができる。

そんなことを自然に認め合える学校や社会であってほしいと思います。