Column コラム

木野 雄介

  • 私立中高講師
  • 歴検日本史博士

大阪万博が問う、“正しさ”よりも“関係を設計する”社会へ

2025.11.10

10月13日、大阪・関西万博が閉幕しました。
多くの来場者がそれぞれの視点でこのイベントを経験し、学び、何かを持ち帰ったように感じます。

ところで、開催前の空気を覚えているでしょうか。

工事の遅れや予算の膨張、環境問題などをめぐって、中止論や撤退論が飛び交い、議論が感情的になっていました。冷静な対話が成り立たず、「誰が正しいか」を争うことが目的化していたように見えます。
万博そのものが政治的な抗争の具となり、立場や思想の違いが意見の内容よりも前面に出てしまう場面もありました。

この構図は、現代社会全体にも通じます。
SNSでは即時的な断罪や論破の応酬が繰り返され、対話が「意見の交換」ではなく「正義の主張」になりがちです。
けれども、社会をより良くするための議論は、勝ち負けではなく、立場を超えた共通の基盤を探る営みの中にこそあります。
その基盤をどのように設計し、どう持続させるか。

そこに、パブリックリレーションズ(Public Relations:PR)の本質があります。

対話を続けるという営み

社会の中で対話を持続させるためには、「誠意」や「気持ち」といった個人の努力だけでは支えきれません。
誤解や摩擦が起きたときにも関係を続けられるよう、制度や仕組みとして支える構造が必要です。

その構造の概念が、パブリックリレーションズ(Public Relations:PR)です。

日本ではこの言葉が「宣伝」や「広報」「イメージ戦略」として理解されることが多く、企業広告の末尾に「#PR」と付けられるように、印象操作や売り込みのための言葉として定着してしまいました。
けれども、それは本来の意味からすれば正反対です。

パブリックリレーションズとは、組織や個人が他者(パブリック)とどのように関係を築き、維持し、必要に応じて修正していくのかという、社会的関係のデザイン技術です。
誤解や摩擦を前提にしながらも、関係を更新し続けるためのOSとも言えます。

そのOSを動かすためには、三つの原則があります。

  • 倫理観:利益や効率だけでなく、人間の尊厳と社会的公正を両立させる判断軸。
  • 双方向性:一方的に伝えるのではなく、対等な対話を通じて新しい知を共に生み出す態度。
  • 自己修正:誤りや齟齬が明らかになったとき、状況を観察し、前提を更新して再構築する動き。

社会は完璧ではありません。誤解も、衝突も避けられません。
だからこそ、パブリックリレーションズというOSをどのように社会に組み込むかが問われています。
そして、その視点は教育のあり方にも深く通じていると私は考えます。

教育が向かうべき方向

教育の場にも、同じ構造的課題があります。
かつての学校では、「教えること」そのものが目的化し、教師が一方的に正解を伝える儀式のようになっていました。
その儀式を維持するためであれば、児童や生徒の人権を制限しても構わないという空気が社会全体に存在し、体罰すら黙認されてきた時代もありました。

しかし今、教育は知識を伝える場ではなく、対話を通じて互いに学び合う場へと変化しつつあります。

学びの本質は、誰かの答えをなぞることではなく、自分の考えを形成し、それを他者とのやりとりの中で再構成していくことにあります。


教育は、まさにパブリックリレーションズが目指す「関係を設計する社会的OS」を動かす場でもあります。
対話を避けることは、学びを止めることに等しいのです。

批判の先にあるもの

万博をめぐる議論もまた、社会がこの「関係設計」を試される場だったと思います。
批判はあって当然ですし、すべてを肯定する必要もありません。
問題は、批判が「断絶」ではなく「更新」につながるかどうかです。
一方が他方を否定して終わるのではなく、両者が前提を見直し、より良い方向へと設計を更新していく。
その営みこそが、民主主義を支える技術であり、パブリックリレーションズの本質だと考えます。

万博は、対話の重要性を社会全体で再確認する契機になりました。
私たちは今、「正しさを競う時代」から、「関係を設計し直す時代」へと移行しているのです。