Column コラム
パブリック・リレーションズでいじめを考える
2020.11.02
今年は、時が経つのが本当に早く感じますね。冬の気配を感じる季節となりましたが、皆さん体調など崩していませんか?今日は、最近の教育界で気になるニュースを取り上げたいと思います。
文部科学省の問題行動・不登校調査によると、全国の小中高校と特別支援学校で2019年度に認知されたいじめが、前年度から7万件近く増えて61万2496件に上り、過去最多だったことがわかりました。命にかかわるいじめや、いじめが原因とみられる不登校を含む「重大事態」も2割増の723件で最多だったといいます。安心・安全の場でなければならない学校でなぜこのような事態になってしまったのでしょうか?
いじめの問題が取り上げられる時、よく話題になるのが、いじめの定義です。
教師の認識は1つではないでしょう。当事者の子どもたちの間でも「いじめるつもりはなかった」「相手も喜んでいたのでいじめではない」といったことも聞かれます。
いったい何がいじめで、何がいじめではないのでしょうか?
このことで、オシエルズという日本中の学校を回っているお笑い芸人の方が「いじめといじりの違い」についてわかりやすく伝えています。
「相手が〇〇と思っているかどうか」
この〇〇に当てはまる言葉は何でしょうか?相手が○○と思ったらそれはいじめだといいます。
答えは「不快」です。相手が不快に思うかどうか。
お笑いでよく行われる「いじり」は、お互いの信頼関係があってこそ成り立つもので、相手によっては不快になります。
こう考えると、「いじめ」という言葉が、「相手を不快にさせる」という本質を
見えにくくしているのではないでしょうか。パワハラやセクハラも同じでしょう。
パブリック・リレーションズは、「倫理観」「双方向コミュニケーション」「自己修正」という3つの柱がありますが、これら3つが並列にあるわけではありません。
倫理観に基づき、双方向コミュニケーション、自己修正をする関係構築活動です。
パブリック・リレーションズ for schoolの言葉で言えば、「みんながハッピーであるか」が
全ての土台になります。「相手が不快かどうか」は「みんながハッピーであるか」という観点で自分を俯瞰した時に理解できます。
「相手が不快かどうか」というごくごく当たり前の認識ができないのは、自分の行動をメタ認知できなくなっているからです。忙しすぎる現代社会では、大人も子どももちょっと立ち止まって自分を俯瞰することが少ないのかもしれません。メタ認知をし、自分の言動を俯瞰することで自分の行動を決めていくには、パブリック・リレーションズの3つの観点が役に立ちます。ちょっと立ち止まって、自分の言動を俯瞰し、それが「みんなのハッピー」に繋がっているかを考える時間を持ちましょう。
パブリック・リレーションズで、学校から「不快」がなくなり、誰もがしあわせに生きる社会につながって欲しいと願います。これが「いじめ」のない安心・安全の場なのではないでしょうか。