Column コラム

なぜ学校教育にパブリック・リレーションズが必要か(3)〜みんながハッピーであることを意識した対話の例〜

2023.12.06

 みなさん、こんにちは。パブリック・リレーションズを学校教育に導入していくことの意義についてシリーズで書かせていただいています。

 前回、「倫理観」という言葉の持つ、曖昧さや、わかりにくさをわかりやすく子どもたちに伝えていくことの大切さをお話ししました。その中で、中高生向けのテキスト「Public Relations for School」では、「倫理観」を「みんながハッピーであること」と表現しました。今回は、「みんながハッピーであること」、つまり「誰も取り残さない」話し合いをどう進めていくかの例を紹介します。

 ある高校の2年生が文化祭の出し物について話し合いをしています。話し合いを進める中で、2つの意見に別れました。「焼きそばなどを売る屋台」と「ミュージカル」です。前者の支持が8割くらいで、後者は2割くらいです。

 ここで多くの学校では「多数決」を使って決めるのではないでしょうか。この場合、多数決で決めれば、「屋台」に決まります。時間もかからず、一見効率的な方法に見えますが、「ミュージカル」を希望していた2割の生徒は、我慢をして多数派の意見に合わせることになります。これは少数派の意見を切り捨てることになり、「みんながハッピーであること」を達成することはできません。ですから、パブリック・リレーションズの話し合いでは原則多数決は使わずに話し合わなければなりません。(A案でもB案でもみんながハッピーである案件は多数決を使っても問題ありません)

 それではパブリック・リレーションズの考え方を話し合いに取り入れていくにはどうしたらいいのでしょうか。具体的に見ていきましょう。

 まず、大切なのは何のために文化祭を行うかという「目標」を全員で確認することです。「屋台」も「ミュージカル」も手段です。何のためにそれを行うのか目的が明確になれば、その目的達成のための最適な手段を話し合いやすくなります。

 目的がなく手段だけに注目して話し合うと大抵対立が起きます。しかし、パブリック・リレーションズのスキルを使えば、どんなに対立関係にあっても共通の目標を見つけることはできます。中高生時代にこの対話の方法を経験することは、これからの多様な社会で生きていくためには重要です。目標達成のための手段として、どんな文化祭の出し物が最適かを考えていくという対話の流れを理解させましょう。

 次に、目的を決めるときの話し合いで、子どもたちに意識してほしいことは、「文化祭」に関わるすべてのステークホルダーです。目標を達成させるには多くのステークホルダーが関わっていることを知ることから始め、その誰もが「ハッピーであること」が大切であることを認識します。その中で、文化祭への「来場者」というステークホルダーが特に大切であることに気づけば、「自分たちが文化祭を楽しみたい」だけでなく、「来てくれた方も楽しませたい」という視点も加わった目標になっていきます。

 例えば「自分たちも来場者も最高に楽しい文化祭にする」といった目標であれば、ステークホルダーも意識したクラス全員が合意する目標になるのではないでしょうか。

 生徒たちは話し合いを続け、「『焼きそばなどを売る屋台』をやり、並んでいるお客さんのためにサプライズで『ミュージカル』を演じる(フラッシュモブ)」という結論になりました。多数決に比べ、時間はかかりますが、「自分たちも来場者も最高に楽しい文化祭にする」という目標に向け、少数派の生徒たちも当事者意識を持って、文化祭に参加することができました。

 まとめると、以下のような手順になります。

  • 誰も取り残さない「目標」を立てる。
  • 目標達成のためのステークホルダーを意識する。
  • 多数決を使わず対話を通して手段を決定する。
  • 意見が対立したら「目標」に戻る。

 「Public Relations for School」のテキストを使えば、実社会の事例で対話の手法を学ぶことができます。テキストでは第二章で、「みんながハッピーであること」を取り上げています。ここでは、米国の製薬会社の事例で、同社製品から、毒性のある化学物質が検出された問題に社長としてどう対応するかのワークがあります。ワークの中で、この会社が関わる様々なステークホルダー(関係する人たち)を考え、全員がハッピーになる対応を考えていきます。このような事例と組み合わせると、学校と社会の対話のスキルがシームレスにつながっていきますので、ぜひ参考にしていただければと思います。

 次回は、対等に対話を重ねること(双方向コミュニケーション)についてお話ししていきます。

参考文献 井之上喬『パブリック・リレーションズ第2版』(日本評論社, 2015年)