Column コラム
なぜ学校教育にパブリック・リレーションズが必要か(2)〜行動指針としての「倫理観」〜
2023.11.15
みなさん、こんにちは。パブリック・リレーションズを学校教育に導入していくことの意義についてシリーズで書かせていただいています。第二回の今回はパブリック・リレーションズを支える3つのキーワードの一つである「倫理観」について書いていこうと思います。
倫理を辞書で調べると、多くの辞書では同義語として「道徳」と書かれています。したがって、日本では特に学校教育において「倫理観」というと道徳でいう「挨拶を大切にしよう」「服装の乱れは心の乱れ」といった個人の価値観や「心のありよう」に焦点があたっているように思えます。
しかし、今日のパブリック・リレーションズで言う「倫理観」は、以下のような説明がされており、「道徳」とは異なります。
「ジェレミー・ベンサムの功利主義(utilitarianism)「最大多数の最大幸福」とマイノリティ(貧しい人や弱い人)に対して義務感をもって手を差しのべなければならないとするエマニュエル・カントの義務論(deontology)との補完関係の上に成り立っていると考えられています」(2015井之上喬)。
これを読むと、「倫理観」は単に個人の価値観に基づいた行動規範である「道徳」にとどまらず、広く社会全体においての行動規範であることがわかります。つまり、現代社会の大きな課題であるSGDs達成のために、私たちがどう行動するかの指針になるものが「倫理観」です。SDGsの目指す、持続可能な社会が「最大多数の最大幸福」につながり、「誰一人取り残さない(leave no one behind)」という目標が義務論にあたるとも言えます。ですから、パブリック・リレーションズで言う「倫理観」は心のありようではなく、行動指針です。「どう思うか」ではなく「どう行動するか」が問われることになります。
私たちの作った中高生版テキスト「Public Relations for School」では、「倫理観」をさらにわかりやすく「みんながハッピーであること」としました。小学生を主な対象にしたベーシック版テキストではさらに言葉を加え、「いろんな人の立場になって考えてみよう。自分も含めて一人ひとりが幸せになっているか。」と表現しました。このように子どもたちに「倫理観」を伝えるとき、子どもたちの理解力に合わせて言葉を選んでいくことが大切です。
経済、政治、文化において急速にグローバル化が進行する中で、民族や文化、言語、宗教、国境を超えてステーク・ホルダー(関係する人たち)で共通の目標を合意するのは簡単ではありません。行動指針としての「倫理観」をベースに、対話を通して共通の目標を合意し、目標達成のための手段を決めていくプロセスはこれからの社会を生きていく子どもたちに不可欠です。
次回は、「みんながハッピーであること」(倫理観)をベースに話し合いを進めていく実践例を具体的に紹介しようと思います。
参考文献 井之上喬『パブリック・リレーションズ第2版』(日本評論社, 2015年)