Column コラム

学校の存在とは?

2022.07.27

 ご無沙汰しています。山藤旅聞です。日本各地から、観測史上初めての気温だとか、線状降水帯の警告ですとか、コロナ感染状況の急激な変化など、予想不可能時代に突入していることを感じる日々ですね。そんな中、今年の夏はいかがお過ごしでしょうか?

 さて、私は、沖縄戦下で、義務教育未修了の高齢者の方々に向けた夜間中学校の開設から、現在は、初等部、中等部、高等部(高等専修学校)を設立している珊瑚舎スコーレ(https://sangosya.com/)の視察を通じて、「学校とは何か?」について、考えたことをみなさんに共有させていただきたいと思います。

 設立は2001年4月。校長であり創設者は、星野人史さん(1948年生まれ)。大学卒業後、都立高校、私立高校の教員を経験されたのち、珊瑚舎スコーレの立ち上げに尽力され、現在に至っています。珊瑚舎スコーレの詳細は上記のホームページを参考にしていただきたいと思いますが、一言でどのような学校をつくられているかを表現すると、「ルールがなく、学年による仕切りもなく、教室と職員室の区切りもなく、授業や学校を、生徒と先生そしてボランティアの協力者とともに、作り続けている学校」でした。

 学校に訪問すると、小学生から高校生までが、同じ教室で勉強をしていました。高校生が中学生に教えていたり、中学生が小学生をサポートしていたり、時には中学生が高校生に教えていたりと、自分の目標に向けて、それぞれが勉強し高め合っていることが分かります。この教室には、各学年の学習内容の「当たり前/標準」とか「競う」とか「平均点」とか「テスト」という概念はありません。教科についても、既存の教科のイメージを払拭するために、数学は「数と記号」、国語は「ことばと日本語」、理科は「自然の営み」などと表現されており、先生たちがオリジナルの教材で授業を展開しています。驚きなのは、学期ごとに、授業の振り返りと改善点を生徒たちが提案し、次の学期に生かしていく授業検討会が文化になっていることです。玄関には、生徒たちが書いた前の学期の振り返り(授業検討会資料)が掲示されていました。資料を見てみると、「自分たちの話し合いが甘かった」とか、「何を先生に質問すればいいか考えないといけなかった」とか、「先生が話す時間を減らしてもらおう」などなど、生徒たちが学ぶ環境を作っていくことがうかがえる内容にあふれていることが印象的でした。

 視察をした日は7月下旬。放課後は、年に2回の「学習発表会」に向け、こちらも学年を超えて、演劇等の表現活動に向けて熱気があふれていました。18:00頃になると高齢者の方などが登校してきました。そして、チャイムはなりませんが、いつのまにか3人の学生(高齢者)が、勉強を始めていきます(授業がスタートしていく感じです。)。3人の方々は、とても真剣に、そして楽しそうに学んでおられました。初等部、中等部、高等部の生徒たちは、夜間学校で学ぶ高齢者の姿を感じながら下校していきます。

 生徒たちの活動を感じながら、2時間ほど、校長であり創設者の星野先生にお話を伺いましたが、印象的だった言葉を以下にまとめてみます。

・明治政府のつくった学校制度(特に改正教育令)は、国家に有用な人材の育成に重きがおかれ、強力な国家目的を貫徹させるための教育だった。これでは一人ひとりの個性も生きないし、自律も生まれない。結果、競争と排除が生まれてきてしまったのではないか。

・制度が人より優先される世の中ではなく、人が優先される世の中を作りたい。だから珊瑚舎スコーレにはルールがない。

・人は本来、学びたいという力と、変わりたいという力を必ず持っている。学校はその力を手助けするだけ。

・生徒一人一人の人格を尊重するために、各学年は14人まで。一人の意見で、授業が変化していけるサイズ。一人の存在が大きいことを実感できるサイズ。対話をベースにできるサイズ。

・教員も学びの同行者であり、生徒との対話を通じて、変容を続けていく。結果、学校も変化を続けていく。

・授業、学校、自分に完成はない。授業も学校も自分も、作り続けていくもの。

・消費者から創造者へ。空間と時間を超えた想像力を持つ人になってほしい。

・自分の言葉を持つことが重要であり、言語活動を重視している。言葉を通じて、他者や社会と自分の関係を習得し、自分という存在の輪郭を感じていく。

ということでした。

 目の前には、生き生きと活動している生徒たちしかいませんでした。先生たちも笑顔と対話があふれていました。とても自然体でした。大人も子供も、緩やかな変化を楽しんでいる空気感を感じました。それは、珊瑚舎スコーレに登校しないとできない学びでした。毎日登校して、この空間でないとできない学びがそこにはありました。学校でしかできない学びだと思いました。

 生徒たちも先生たちも、それぞれに目標があり、対話を通じて自己修正をしながら、高め合っている「場」でした。生徒一人の発言が、全体に影響を与えるサイズ感で民主制も、学校つくりの当事者意識も醸成されている空間でした。このような小さな学校が、日本各地に増えていく重要性も感じる視察となりました。私の理解では、パブリック・リレーションズfoe schoolが大切にしている倫理観双方向性コミュニケーション自己修正に通じている学校であるとも思いました。

学校とは何か?

何のために学校は存在するのか?

みなさんはどう思われますか?