Column コラム

「スキーの楽しさとは(後半)」

2022.05.16

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スキースクールのレッスン終了後、次女は完全に心を閉ざしてしまいました。

それでも昼休憩の時間、約束していた「おみやげコーナーにあるもの、何でも1つ買ってあげる」は履行され、オコジョの人形を手に入れられた次女に笑顔が戻りました。

「午後もスキー行こうよ」と、私はなるべく対等な対話で誘いますが、次女は頑として首を縦に振りません。

どうしたものか?といろいろ話を聞き出してみると、

「私はスキーじゃなくて雪遊びがしたかったの。」と本音をポツリ…。

もう少し詳しく聞いてみると、実はスキー場に着いて、ちょっと怖気付いてしまっていたようです。

そこへ来て、私が無理やりモノで釣ってしまったために、私と次女で目標が一致していないまま、レッスンが始まってしまったのです。

つまり、私にとっては「上手になってもらうためのレッスン」だったのですが、

次女にとっては「今後スキーしなくて済むためのレッスン」だったのです。

そうと分かれば、話は早いです。

まずは目標を一致させなくてはなりませんが、

今日は次女の気持ちに寄り添うことにし、午後は雪遊びをしました。

次の日も次女は朝から「スキーしない」を選びました。

雪遊びをしたり、かまくらを作ったり、みんなでアイスを食べたりしました。

しかし、リフト営業終了時間が近づいたころ、突然次女が、初日にスキースクールのレッスンで練習していたエリアの方を指差し、

「あっちだったらちょっと滑ってみようかな…」と言い出しました。

僕はこの機を待っていました。

禅の世界に「啐啄同時(そったくどうじ)」という言葉があります。

機が熟して悟りを開こうとしている弟子に、師がすかさず教示を与えて悟りの境地に導くことです。(『スーパー大事林』より)

「もう雪と仲良くなれたから、きっと滑れると思うよ」という言葉をかけました。

もともとは、真っ直ぐなら滑ることができた次女です。

自信さえあればできるはずだと、思いました。

こういうときは、あれやこれやと教え込まず、自分の好きなようにやらせるのが一番です。

後から聞いた話ですが、

「お姉ちゃんみたいに、私もスキーできるようになりたかったの…」と言っていました。

夢中になって何度も何度も滑っていました。

親の権力を使い、子供にレッスンを押し付けたことを私は猛省しなくてなりません。

・子供たちと対等な対話で目標を共有する。

・必要以上に手をかけず、子供の夢中を妨げない。

こんなことを学んだスキー旅行でした。

最終日は午前中だけ滑ることにしました。

前日から「朝イチでリフトに乗る!」と姉妹で意気込んでいました。

朝食を早めに済ますことに成功し、朝イチのリフトに乗車することができました。

目の前に広がるどこまでも白い世界!!

好きに滑って、好きなところへ行ける。

誰にも邪魔されない。

それこそがスキーだ!