Column コラム

幕末の志士たちもパブリックリレーションズ!?

2020.06.30

皆様、はじめまして。この度、「パブリック・リレーションズ for School」 HPにてコラムを担当させて頂くことになりました、木野雄介と申します。私はパブリック・リレーションズ(PR)に出会ってまだ間もないのですが、皆様と一緒にPRについて考えて頂く機会を頂き、嬉しく思っています。どうぞよろしくお願いいたします。

実は私、この4月〜6月にかけて、自分の人生において、とても大きな変化が4つもありました。自己紹介がわりに、それらをご紹介します。

1つ目は、10年勤めた都内の私立中高一貫校の専任教諭から、横浜市内にある私立中高一貫校の非常勤講師に転職したことです。なぜ転職したのかというと2つ目の出来事に関わってきます。

2つ目は、一般企業の正社員になったことです。以前から、「学校がもっと社会と繋がるためにはどうしたらよいか?」について考えていました。この就職のために専任教諭から非常勤講師になったのです。この会社では「ハイブリッド・ティーチャー」という肩書き(?)で仕事をしていました。

ですが、いろいろあって6月にこの会社を退職する道を選びました。これが3つ目の出来事です。退職しましたが、学校と社会のハイブリッドを目指す立場に変わっていません。

そんな折、日本パブリックリレーションズ研究所(JPRI)からお話をいただき、こうしてジョインすることになりました。これが4つ目の出来事です。

私のBeing(ありたい姿、信念)は「社会を最適化するハイブリッド・ティーチャー」です(これについてはいつか解説をしたいと思いますが、今回は割愛します)。このBeingを求める過程では、迷ったり、葛藤したり、うまくいったり、間違ったり・・・いろいろ起きるわけでして。こうしたときのPRの実践例や応用例などを皆様にコラムでご報告できたら、と思っています。ぜひともよろしくお願いします。

さて、今回のコラムでは私の専門分野である日本史からPRのヒントを得たお話を書きたいと思います。

1853年、日本に黒船が来航しました。圧倒的な欧米の圧力に対し、日本人はどう行動したのでしょうか。様々な葛藤や悶着がありましたが、幕末の志士たちは日本の良さや本質を残しつつ、欧米文化とハイブリッド化していく道を選びました。つまり、過去の事例に囚われない柔軟な対応が弱肉強食の新時代を生き抜いた鍵とも言えるわけです。

この柔軟な対応をするためには、視座を高く保ち、常に自己修正ができる用意が必要です。この自己修正PRの3本柱の1つでもあります。ちなみに、残り2つの柱である倫理観双方向性コミュニケーションも、多くの幕末の志士たちが藩校や郷学で叩き込まれていましたが、この2つだけしか身につけていなかった志士たちは残念ながら時代に取り残されたり、滅ぼされたりしました。逆に、新時代を築いていった志士たちの共通項は自己修正も身につけていた点ではないか、私はふと思いつきました。

皆様はどうお考えになりますか?