Column コラム

栢之間 倫太郎

  • サセックス大学大学院
  • 元小学校教員、新渡戸文化学園外部パートナー

自分の「当たり前」に潜む言説

2025.03.31

こんにちは。イギリスのSussex大学で教育と開発を学んでいる栢之間です。今回も私のコースで学んでいることをもとに、パブリック・リレーションズについて考えていきます。

ところでみなさんは「アフリカの子ども」というワードから10個の形容詞を書けと言われたら、どんな言葉を思いつきますか?今まで見てきたCMや映画などの情報を頼りにしてもいいと思います。電車の中吊りでたまに見るポスターも、手がかりになるかもしれません。

このワークは実際にコース内で行われたものの1つです。実際には「アフリカの女性」というキーワードでした。私たちはそれまで様々な文献や調査から、サハラ以南のアフリカの教育において、女性・女児がどのような状況に置かれることが多いかを探究していました。ですので私もdiscriminated(差別された)・domestic(家庭内の)・serving(奉仕する)など、教育から除外されがちな現場を指す言葉を多く書き出しました。

 

しかし私のグループのウガンダから来た友人が書いたのはstrongbeautifulconfidentなどの言葉。ポジティブで自身に満ちた言葉たちでした。私は自分の書いた言葉を振り返り、しばし考え込んでしまいました。

 

このワークの目的は支配的な言説(dominant discourse)について考えることでした。言説(discourse)とは、私たちが交わす言葉のコミュニケーションももちろん含みますが、それらの相互作用によって発生する世界の見方のようなものです。この言説は、しばしば権力の影響やコントロールを受け、私たちの無意識な世界の構築を左右します。

 

例えば先程のワークの例でいえば、支援を訴える団体のポスターや時折目にする悲惨なニュースなどで「アフリカの子どもたちは学校に行けていないんだ」というイメージが私たちの中に根づきます。私たちが主体的にこの現状を知覚したわけではなくとも、このイメージはいつしか私たち自身の認識へと変化していきます。私自身が様々な論文を読み込んでそのイメージを内面化したのも同じプロセスです。さまざまなステークホルダーと関わりを持つパブリック・リレーションズには、相手の視点を持つことが求められます。人は自分が置かれている環境や価値観に基づいて相手を考えがちです。このウガンダのケースでも、私たちとは異なった社会で生きるウガンダの子どもの視点でとらえると見方も変わってくるはずです。

 

*これらの言説や、その中に潜む力と知識の構造についてはフランスの哲学者フーコーなどが深く考察していますので、もし興味がありましたら調べてみてください。

 

また少し角度を変えて、今回のこの事例を学校現場とパブリック・リレーションズにつなげると、私には「当たり前」という言葉が浮かんできます。学校には「当たり前」という事象が多くあるような気がするのです。

 

夏休みには宿題を出すという当たり前。クラスには当番活動があるという当たり前。机はまっすぐ前向きという当たり前。みんな仲良しなクラスが一番良いという当たり前。先生の言う事を聞くという当たり前。

 

しかしこれらの当たり前は、どこから来ているのでしょうか。自分の経験でしょうか。それとも学校の教師の中での世論でしょうか。社会からの要請でしょうか。ふと立ち止まって考えてみると、どこが出どころなのかわからない、無意識に内面化された言説が多く存在していることがわかります。

 

これら1つ1つを「みんなが幸せであること」という「倫理観」に基づいて、子どもたちや大人同士の「双方向性コミュニケーション」で対話してみると、もしかすると新たな方向性が見えてくるかもしれません。これらの当たり前を見つめ直す「自己修正」には勇気が必要ですが、大人にとっても子どもにとっても必要なプロセスではないでしょうか。未来をつくるためには、このような小さな当たり前を少しずつ考え直していくことが必要だと、私は思います。

 

学校での「当たり前」を全て壊すことが目的では決してありません。しかし私たちが普段「当たり前」だと思っていることの出どころや根拠を考えてみることは非常に有益です。無意識に従属するのと、目的をもって意識的に継続するのは違います。大人も子どもも、様々な価値観をもつ仲間同士で対話を重ね、自分たちの「当たり前」を分析してみるのはどうでしょうか。これはまさに、パブリック・リレーションズの倫理観において重要な「人工衛星で上から自分たちを客観的に見ているイメージ」にも繋がります。

 

私たちは言説とは切っても切れない存在です。だからこそ、常に自分の思考がどこから来ていて、どこに根拠があるのかを自問自答し、それを多様な仲間と対話させていくことが重要です。その営みを経て初めて、みんなにとって幸せな空間・社会が形成されるのではないかと、私は思っています。