Column コラム

食から考えるSDGs

2022.12.22

 みなさん、ご無沙汰しております。今年も師走になりましたね。今年こそはと余白とゆとりを持って、ゆっくり・じっくりと毎日を過ごしたいと思いつつ、毎日走って、クリスマスを迎えている自分がいます。みなさまはいかがでしょうか。

 さて、SDGsを活用した教育が様々な場面で展開されるようになりました。先日は、修学旅行とSDGsを組み合わせる探究型の教育旅行について話し合う機会もいただきました。みなさんはSDGsをどのように捉え、どのように活用されているでしょうか。

 私は、人工物の質量が地球上の生物量(乾燥重量)を2020年に超え、このままでは2040年には、地球上の生物量の約3倍になってしまうという2020年12月に発表された「Nature」の論文を支持し、地球が1年に再生できる生物資源量を、人間が消費する生物資源量が超えてしまう現代社会の人間活動に対して、教育を通じて、具体的な改善アクションをしていきたいという立場からSDGsと向き合っています。

 SDGsは国連が定めた世界目標でもあり、どこか遠くに感じてしまうという声をよく聞きます。そんな中、生徒たちとSDGsの本質と向き合い、どのように表現していくと良いかを考え続けているプロジェクトがあり、その活動の中で、中高生と一緒に曹洞禅の教えを学ぶ機会がありました。この教えの中に、SDGsをはじめとする世界規模レベルの課題と向き合うことは、とても身近なところからできることに気づかせてくれる内容がありましたので、今回はそのことを紹介したいと思います。

 教えてくださった禅の教えは、歴史の授業で馴染みのある鎌倉時代の禅僧である道元(道元禅師)が残した教えの1つで、「典座教訓(てんぞきょうくん)」というものでした。典座とは、禅寺で「食」に関わるお仕事(役職)のことで、道元が修行の旅をしている中で、修行僧たちの食事を作ることに誇りを持ち、一切の手を抜かず、みんなのために食事を作ることこそ自分の修行であると話す老いた典座との出会いに心動いた道元が、毎日の「食」の重要性を伝えてくれている内容でした。

 よく考えてみると、生きている限り、食事をしないことはありません。毎日、自分や、もしくは誰かが、食事を作ってくれています。その食事の材料は、また誰かが作ってくれています。グローバル流通が「当たり前」の現代では、その誰かは、日本の誰かではなく、海外の誰かとなることも多いでしょう。お魚であれば、海が作ってくれていると表現することもできると思います。私たちの命を支える毎日の食事は誰かや、地球に支えられています。これを継続していくことの重要性と向き合い、自分の考え方や、行動を変えていくことは、SDGsの本質にも通じるものだと思います。毎日の食事を通じて、自分以外の誰かに想いをはせ、感謝していく倫理観や、自分に貢献できる何かを小さく行動していくことは、SDGsの先にある、持続可能な未来をつくる行動にもつながる感覚になりました。

 いかがでしょうか。忙しい時は食事を抜いたり、インスタントの食事でサッと済ませてしまう私もいるのですが、毎日の食事を見直すことや、考え方を少しだけ変えるなど自己修正をすることで、自分にも今日からできる行動があることに気づけるのではないでしょうか。